フォトコンテストに出すということ

数年前からコンテスト・コンペの類に積極的に写真を出している。最初は多くの人と同じようにカメラ雑誌のコンテストから始めた。2年前は積極的にアサヒカメラに出していて、2年間で10回は出したろうか。2回に1回は入選するようになってきた。アサヒカメラの月例コンテストはカメラ雑誌の中では野心的な写真も入選しやすいと思っている。雑誌自体はおっさん~ジジイが読むような保守的な内容だが、コンテストの選考基準は割と懐が深い。そんな雑誌で4,5回入選するとやはり自信が出てくる。

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とはいえ、カメラ雑誌の月例コンテストはやはりアマチュアの場だ。野球で言えば草野球だ。もっと大きなコンテストを。プロへの登竜門にもなりうるコンテストを、と昨年は求めた。「草野球は卒業だ」と言わんばかりに粋がって。エプソンニコンソニーなどのメーカー主催コンテストやLensCultureなどのコンテスト。そういったものに送っていった。結果、全敗。全く何にもかからず。

 

「コンテストのために写真を撮っているのか?」と聞かれたら、迷わずに「違う」と答えられる。自分の衝動であったり好奇心であったりするものを残すために写真を撮っている。そう言える。

 

発表の場としてはよくあるのは写真展だ。グループ展でもいいし、個展でもいい。実際私も何度か写真を発表している。ネットにアップするのと違って、わざわざ足を運んでくれたお客さんに生の感想を言ってもらえたりリアクションを見ることができる。これは何らかの発表をしたことがある人には分かると思うけど、何事にも変えられない体験だ。これを味わいたくて展示を繰り返している人もいると思う。

ただ問題もある。アマチュアの写真展は決定的に緊張感がない。わざわざ足を運んでくれたお客さんは「いまいちだなぁ」と思ってもなんとか褒めてくれる言葉を探してくれる人が多いし、そもそも好意的なモチベーションで来てくれる。そうでないたまたま入ってくれた人でも本人を目の前にしたらわざわざネガティブなことを言わないことがほとんど。何も言わずにすーっと会場から抜けるくらい。なかなかシビアな評価は受けられないのだ。

ネムルバカ」という漫画で出てきた「駄サイクル」という言葉がしっくりくる(知らない方は「駄サイクル」でググれば一発で出てくる。ネット上でそこそこ出回っている画像)。趣味でやってるだけだから、と自分で意識している分にはこれが正解。でもこれで飯を食っていくとか、そこまでいかなくても技術なり面白さなりを向上させようというのならこれほど邪魔になるものはない。上手くならなくても面白くなくても人は褒めてくれて欲求は満たされる。アーティスト面できる。SNSなどで自分より知名度ある人に擦り寄ってうわべの技術・技法を真似してそれっぽく見せることができる。自分にとって何が面白いものなのか、それをどうすれば見せることができるのか考えることもせず。

 

以前、「写真新世紀」開催中のイベントであるポートフォリオレビューは良かった。持っていった写真を話にならないくらいの勢いでダメ出しされたが、その後どう考えていくべきかのアドバイスも貰えた。それなりに心にダメージも食らうが、それ以上にやってやったる感が湧き上がる。しかしこれは年に一回だけだ。その他にもレビューイベントはあるのだけど、やはりそんなに数多くない。(ちなみにこの写真新世紀ポートフォリオレビューは一流のキュレーターや写真家からのレビューを受けられるのだが、毎年席は埋まらないみたいだ。身の程を知るというのはそれほど怖いということなのか、単に興味ない人が多いのか。)

 

そこでコンテストという場所だ。自分のことを知らない第三者に評価してもらい自分の身の程を知る。もしそこで何らか認められたら、少なくとも自分の他にも自分の写真を面白いと思ってくれる人がいるとわかる。

もちろんコンテストが絶対的なものではない。選者の主観が思いっきり入るし、運要素もある。コンテストの趣旨と自分の写真が合ってなければ完成度や面白さとは関係なく入選の可能性は狭まる。

そして毎月どこかしらでコンテストの募集はある。大きな規模のものもあるし、小さなものもある。同じコンテストに参加した他の人の写真(入選作)も見ることができる。自分の写真の立場を知るのにとてもちょうどいいところだ。ついでに入選するとちょっとしたお金も貰える!(コンテスト規模によってはちょっとしたどころではない)

 

今後もコンテストを目標に撮ることはない。が、撮った写真をノリが合いそうなコンテストに送ることは続けると思う。今の草野球の場から、更に次を見ることができそうな場で入選することを目指していく。