笠井爾示写真展「トーキョーダイアリー」を見て、「Tokyo Dance」との対比

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2017年に「東京の恋人」が発行されたとき、「「Tokyo Dance」と対になるような部分がある」と聞いた覚えがある。何かのトークイベントの時だ。しかし2019年に出た「トーキョーダイアリー」を見て、こちらの方が更に対になる存在なのではないかと思った。東京アートギャラリーで行われた展示内容を見て更にその思いを深めた。

 

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1997年発行の「Tokyo Dance」と2019年発行「トーキョーダイアリー」

 

「東京の恋人」も「トーキョーダイアリー」も多くの女性モデルが登場する。

念のために二つの写真集それぞれで、どの程度女性モデルが主題になっている写真が載っているのかカウントしてみた。

 

「東京の恋人」 380点中331点   「トーキョーダイアリー」380点中274点

 

「東京の恋人」は約87%もの写真が女性モデルを主題としたものに対して、「トーキョーダイアリー」は約72%になる。(いや、それでも多いのだけど。正直数えてみるまでは、もうちょっと街のスナップが多いと思っていた。)

「トーキョーダイアリー」の方は東京という街を撮った写真が多く差し入れられ、より日常からの地続き感がある。日常と女性の撮影の境目がより曖昧になってくる感覚。

「トーキョーダイアリー」の個展になるとその感覚はより強まってくる。東京アートギャラリーでの個展はこの写真集の中から街の写真を中心に構成された展示。笠井さんは子供時代〜高校くらいまでをドイツで過ごしたらしいけど、基本的には東京の人だ。2017年以降(「東京の恋人」以降)の東京の変化を撮り続けている記録のような写真だ。変にドラマチックな撮り方はしていない。

 

初写真集でもある「Tokyo Dance」は東京の夜の中に飛び込み彷徨い、光と人の渦の中を揉まれながら撮っていたような印象を受けた。正直言うと、笠井さんの写真集でいまだに一番好きな写真集だ。この写真集はもっとドラマチックな印象を受ける。90年代末期のクラブシーンという分かりやすく派手な被写体を中心に、夜の刹那的な楽しさと寂しさを抱えてそうな人たちを撮っている。

対して「トーキョーダイアリー」での街の写真は昼の写真が多い。20年以上経ち、作者のライフスタイルが変わったのが大きな理由か。「Tokyo Dance」の撮影時はまだ写真家として固まってなかった頃なのかもしれない(撮影当時20代半ば〜後半くらい?)。

 

「夜の東京」と「日常の東京」。写るモチーフが一緒で状況が異なるようなところが「対になっている」と感じたところかもしれない。

 

あらためて連続で写真集を見てみると、女性モデルに対しての距離感が変わっているように見える。同じ物理的な距離であっても「Tokyo Dance」は「飛び込んでいる」感が強い。「トーキョーダイアリー」はどこか距離を保っている。でも「トーキョーダイアリー」の方が撮る側の我の強さを感じる。「Tokyo Dance」は“寄り添っているor飛び込んでいる”が「トーキョーダイアリー」は“観察している”感じというか。それがどこから感じるものなのかはまだちょっと明確になっていない。荒木経惟の「原色の街」で見たような撮る側の冷静な怖さみたいなものを感じる。そう言うとなにか聞こえは悪い感じがするけど、私は「東京の恋人」よりもこの「トーキョーダイアリー」の方が好きだ。