誰に写真を見てもらいたいのかという話

私は写真家である。

私は写真で生計は立てていない。写真家と名乗り、毎日(手術で意識朦朧とさせていた日を除き)写真を撮っている。日々撮った写真をPCに取り込み、セレクトし、レタッチする。気になる写真展には足を運び、気になる写真集は購入し、写真史や写真論に関する本を読む。

つまりは有象無象のアマチュアである。世の中に掃いて捨てるほどいる存在である。日々絵を描いてはPixivにアップしたり、文を書いてはなろうにアップしたりしてる人と同じ存在である。そしてそこから少しでも上に上がりたいと思う点でも同じ存在である。

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「誰に写真を見てもらいたいか」

というのは結構難しい質問である。

「写真に詳しい人に受けたいのか、写真をよく知らない人に受けたいのか」

という質問には写真を始めたばかりの頃なら迷いなく

「よく知らない人に楽しんでもらいたい」

と答えていた。知ったような顔した少数の人よりも、詳しくない人に楽しんでもらえるようなものを撮りたいと。

 

でもそれも段々と変わってくる。最初の変化のきっかけが大きかった。私は知ってしまった。憧れである写真家に1対1で写真を見てもらい感想を貰うという、緊張と喜びと吐き気と興奮が一度に襲ってくる体験を。いかに自分の写真が至らないものかを突きつけられる絶望と、数少ない良いポイントを指摘されて褒められる喜びを。

また写真をよく知らない人にも喜んでもらえる写真というのは結局色々と勉強して、技術と発想を磨いたものの上にしか出来上がらない。自由に楽しめばいい、というのは型を勉強してこそ型を外せるということだ。ただなんとなくやっていたら自由どころか、自分で作ったパターンから抜け出せなく面白くもない同じような写真を量産するだけだ。

 

だから今は私自身が認めた師匠級の人に見てもらうのが好きだ。心臓はどきどきするし、胃はきりきりするけど。写真新世紀選考者によるポートフォリオレビューなど打ちのめされまくったが力強いアドバイスも貰った。

どこかの本で読んだ。「素人の感想と玄人のアドバイスは大事にしろ。逆に素人のアドバイスと玄人の感想は無視しろ」割と端的に言い表していると思う。まぁ素人ほどアドバイスしてくるんだけどね。俺同等の有象無象共が一番。玄人の感想は無視しろというのは、その道をある程度修めてくると良し悪しとか好き嫌いの基準が固まっているのでそれが強く反映されすぎちゃうのだとか。それが他の人に当てはまるかどうかはわからんので鵜呑みにすると迷走しちゃうのだそうだ。

 

結論としては、結局は全員に面白がってもらいたいということだろうか。うーん、今のところはそういうことなのだろう。でもそもそもが自分自身が見たい写真を撮り続けているだけで、それを他人に見せているだけだという気もしている。まだすっきりとした結論にはなっていないのだが、今後考え続けていこう。

 

私のことをまったく知らない人の評価を知りたいがためにコンテスト・コンペの類にも写真を出しているが、これはまた次回にでも。