NOMOのおそろしさ
個人的にはスマホのカメラアプリには手を出さないようにしていた。あまりに簡単に安直にそれっぽくフィルタ加工された写真は、なんというか張り合いがないというか。自分で撮った感じがしない。そもそも写真はファインダーを覗いて撮らないと気分が出ない。
そう思ってた頃がありました。こんなこと言ってたのだけど、スマホアプリのNOMOに手を出して、簡単に安直にハマってます。いやもう簡単さがクセになるというか。
雑に撮って雑に使い捨てる感じがなんかいい。「撮った瞬間に過去になる刹那的なところがチェキのいいところだ」とかそれっぽいこと言ったこともあったけど、本当にもうそんな感じ。
おそらくはそのうち飽きると思う
でももうしばらくは遊んでる
David Hockneyから影響を受けた写真の話
ホックニーの写真を初めて見たのはおそらく2010年だと思う。当時通っていたワークショップの中で、写真を継ぎ接ぎして完成させたいという人がいた。その時に講師が参考として見せたのがホックニーの写真だったと「思う」。曖昧な言い方なのはその時に写真家の名前を覚えていないため。「面白いな」とは思ったけど、その時は自分でやろうとは思ってなかったためちゃんと確認しなかった。
時は流れて2015年。友人と二人展を行うことになり、”ヌード”をテーマとしてバーで展示することになった。正直写真を展示するには優しい照明条件ではなかったため、微妙な光の変化やおとなしい作風は合わないだろうと考えた。その時にホックニー(だと思う)の写真を思い出した。
当時買ったポラロイド写真の写真集に同じような撮り方をしているものがあって印象に残っていた。これは正真正銘ホックニーの写真。
私が出した写真は連れ込み宿風のホテル(今はもう無い万上旅館)で絡み合う男女の写真(残念ながらここでは出せない)と、明るい自室で酒を飲む女性のヌード写真だった。
特に前者は生々しい内容を非現実的な絵柄と色彩にしたことで面白いバランスになった。見てくれた人からも好評で、4年経った今でもあれが私の一番の写真だと言ってくれる人もいる(逆に言えばこの4年それ以上のものを撮れてないってことだけど)。
やってみたら想像以上に楽しいもので、2017年の個展でも同じ手法で3枚出展した。これは思い切ってA1サイズにどーんとプリントして壁の中央に配置した。
その時に言われたのだ。「これはやっぱりホックニーから影響を受けたのですか?」と。
実はその時の私はホックニーの名前を認知してなかった。先ほど挙げた写真集でも作家名までちゃんとチェックしてなかったのだ。だからそのお客様にも「えーと、名前は分からないのですが写真集にこんなのがありまして」と歯切れの悪い言葉になってしまった。帰って確認したらちゃんとホックニーの名前がある。あの時のお客様に「はい、ホックニーです!」とお答えしたい。
上に貼った写真は4月に撮ったもの。この1枚で大体140~170枚くらいの写真を使っている。最初に背景部を一気に撮ってしまい、後から人の部分を撮る。貼りあわせる時も同じ工程で、背景部を完成させてから後から人の部分を重ねる。
私がこの撮り方をするときは楽しげな雰囲気にするか、非常にエロティックにするかどちらかだ。前者は華やかさを増長するし、後者は面白いバランスになる。
いつかこの撮り方だけで個展をやってみたい。
モノクロ写真の必然性
結論から言ってしまえば、私にとってモノクロ写真は見た目効果を変えるバリエーションの一つに過ぎない。クロスプロセスとかと一緒。という話。
写真における2大ジャンルといえば(?)カラー写真とモノクロ写真。
元々は写真はモノクロであって、カラーは後から。当然といえば当然。カラーは報道・商業目的では一気に需要が拡大したのだけど、「芸術的表現といえばモノクロである」というのが当時の論調だったとか。エグルストンがカラー写真での展示を行い「ニューカラー」と言われる流れができるまではそうだったと聞いた。(ソール・ライターはこの流れの時期に入るのか?違うか。商業誌メインでやってたのか、その頃は)
15~20年近く前に「デジタルなんか写真じゃないよ」って言う人が多かったのと近い空気だったのかもしれない。
今のご時世、モノクロで自分の写真を見せている人の多くはデジタルカメラで撮ったものをモノクロ化していると思う。ライカモノクロームだとかそんな一部例外を除けばカラーで出てきた写真をモノクロ化だ。中にはカメラ内でモノクロ化してJPG出力する人もいるか?
前置きが長くなってしまったけど、私はいまだにモノクロ写真にする必然性を見出せないでいる。「なんとなくかっこよく見えることがある」程度のことしかない。このことがモノクロ写真になかなか手を出せずにいた要因である。
他の人のモノクロ写真を見るとなんとなく「かっこいいなぁ」とは思う。階調がしっかり残っているモノクロも、「この人、大道大好きなんだろうなぁ」みたいなくっきりしたコントラストのモノクロも。だけど自分がやろうとすると、なにがしっくりくるのか、そもそもなんでこの写真をモノクロ化しようとするのか分からなくなる。最初からモノクロフィルムで撮ってしまえばそうとしか出ないから変に悩まないのだけど。
漠然とモノクロ写真もいいなぁ、かっこいいなぁと思いつつ「でもモノクロであるべき写真って何?」と悩みに悩んで数年。結局「分からないや」が結論になった。それで冒頭の結論。あくまでモノクロは見せ方の一つに過ぎない。私にとっては。
3年後くらいにまた悩むことにする。
5年位前にライカから出たモノクローム専用デジカメ。中古で10万くらいで買えるのならそういうのもありかな?なんて思ってたら中古でも70万位するのね。元々の値段が100万越えなのか。ないない。
心残りを回収しにいった話
ある日思ったのですよ
「あ、安中行こう」
はるか昔の話になりますが、私は私立中学に入ったのですよ。群馬の奥の方。奥ってほどでもないか。平成一桁代。
実家からは遠かったので寮に入ってました。一学年100人ちょいで寮に入っているのはだいたい5~7人くらいだったかな。たいていの人は近くから通ってた。
結果を言っちゃうと1年で退学した。
学校の勉強についていけないってことはなかった。特別進学校というわけではなく、キリスト教系の学校だから私立ってだけだったので。うろ覚えだけど上から20%には入っていたはず。とにかく寮生活が嫌だった。中等部・高等部の6学年全ての生徒が同じ寮に入っていて、一部屋四人で中学1~3年生まで同じ部屋に入れられる。今はどうだか知らないけど、中学生の頃って無駄に上下関係が厳しかった。弱い野球部みたいな「上に絶対服従感」。いいがかりで説教受けて殴られたり、夜中にパシられたり。人付き合いの立ち回りがうまくなかった私は上級生のみならず同級生からも下に見られるようになった。辛い環境だと自分より弱い存在を作って憂さを晴らすのはいつの世も変わらない。
当時の私はたいそうプライドが高い割に、今と変わりなくたいそう腕っぷしは弱かった。寮の中では息を潜めて何事もありませんようにと過ごした。一年生が終わりに近づくにつれて学校を辞めたい気持ちと親に申し訳ない気持ちとで揺れた。たいして裕福とはいえない我が実家で、私立にしては安いとはいえ公立に行くよりずっと金のかかる学校に行かせてもらえてそれを辞めるなんてと。行きたいと言い出したのは私だし。いまだに寮の近くの電話ボックスから辞めさせてくれと電話した時のことは覚えている。
それ以来安中に近づくことはなかった。同級生と連絡をとることもなかった。一度だけ同じ寮の同級生が電話をかけてきたが、会話が盛り上がるでもなく電話を切った記憶がある。当時としては「今更何言ってんだ。俺が蹴られてる横で何もしなかったのに」と被害者意識があったようにも思える。そんなこんなでどうにも心残りを抱えたままその後の学生生活を送った。
で、もう平成も終わる。さすがにもう当時のことを思い出してどうこうというのはない。ただ一度行ってみた方がいいんじゃないかと思ってはいた。「もうあそこに心残りはない」ということを確認するだけでも。そんなことを20年くらい思いつつ一度も行ったこともなかったのだけど、今週唐突に「今週行こう」となったのである。
以上、前置き。というか前置きがほぼ本文。
のどかな道を突き進み、徒歩20分弱で学校と併設された寮には着く。
あった。いつも朝通っていた門だ。これは変わっていない。うっすらと思い出せる。
この道の反対側が寮なのだが・・・
なくなっていた。
駐車場になっていた。なんか石碑が立っている。2006年には閉鎖されたようだ。「寮には笑いがあり、節度があり、涙があり、夢があった」みたいなことが書いてあるが、うまくいっていた人にはそういう思い出が残るのだろう。
片道3時間かけて来たのだが、一番重要な「センチメンタルスポット」が消失していた。なんだこれ。
なんだこれ。
80年代や90年代初期じゃないんだから、部外者が学校に入ってみるなんてことはできない。漫画ならここで当時の担任の先生とばったり会うものなのだけど、今日は祝日だしそもそも担任の名前を思い出せない。
それでもって、現地に来て学校や寮跡地を見ても特にエモーショナルな波は来ない。そりゃそうだ。20年以上経ってんだ。もうここには心残りはないんだ。それが確認できた。
「帰ろう」
学校周りの当時の活動範囲をぐるっと回ったらすぐに電車に乗って帰った。往復6時間、滞在時間1時間半。
まぁそれでも行って良かった気はしてる。無駄だったと思いたくないだけかもしれないけど。
instax SQUARE SQ6を買うに至るまでの二転三転話を聞いてくれ
本日instax SQUARE SQ6を購入しました。
写真にも写っているように元々チェキワイドは持ってたんです。instax WIDEっていうのが正式なのかな。
チェキの倍のサイズのフィルムで、チェキだとどうも小さすぎるよなと思ったのがLサイズの写真くらいにはなって「おお、これなら」と思っていた。写りにも文句なかった。チェキ特有の隙のある甘さが良くて、写真サイズが大きい。良い。
ただ不満点もいくつかあって、
・カメラが大きい上にデザインがどうも・・・
カメラが大きいのは仕方ない。フィルムが大きいのだから。とはいえ、持ち歩くのにとてもかさばる。そしてデザインがいまいちなうえに選択肢がなかった。今もないのかな?ないみたいだ(公式サイト見た)
・フィルムが高い。とても高い。
フィルムのサイズが通常のチェキの2倍。お値段もだいたい2倍。ヨドバシで10枚で1630円(163円/枚。時期によってちょこちょこ値段は変わる)。50枚パックで7430円(148.6円/枚)。通常チェキフィルムは10枚で799円(80円/枚)。通常のと違って値下がりすることが滅多にない。
そんな中、ネットで存在を知ったのが
instax SQUARE SQ20
そう、このチェキじゃなくてデジタルチェキだ。デジカメにチェキプリンタをつけたようなもの、と思えばいいのだろうか。エフェクトもフィルターもかけられる。撮っておいて、好きなものだけプリントできるからフィルム代も節約できる。こいつはいいと思ったのだが、調べてみたらちょっと難点が。
・デジタル画像は何の変哲もない400万画素弱のデジカメ画像
浅はかな俺は「これでチェキ風なデジタル写真を撮り放題?!」と勘違いしていた。後からかけるフィルターは反映されないと知っていたけど、事前にかけるエフェクトはデジタル画像に反映されると思っていた。そこにビーツギャラリーの岡島さんから残念なお知らせが。
設定した色味がデータに反映されないのが1番のクソポイントですー
— okajimax (@okajimaxxx) 2019年2月26日
マジかよ!そんなん
それでもチェキだしどうせチャチいレンズだからチェキ特有の甘い描写くらいは表現されるんじゃないかと気体を残した。
が、ヨドバシで確認したところ、デジタル画像は何の特徴もないちょっと昔の携帯カメラの写真みたい。あくまであれはプリント時にエフェクトをかけるのだ。
そもそもあれはフィルム内の薬品とか支持体とかが出す味であって、デジカメ内でそんなエフェクトかけてたらフィルムに現像させたときに極端におかしくなってしまう。
・そもそも撮ってすぐ出ない時点でチェキの醍醐味薄れるよね
コントロールしきれない構図やピントや甘さがチェキの良さなのに、何度も取り直したものをモニタで見て、エフェクトやフィルター選んで、プリント。もうそこにエモーショナルな感動はない。ないは言い過ぎましたね、ごめんなさい。
とにかく、すぐに結果が出てきて「シャッターを押したらもう取り返しつかない。しかもフィルムカメラと違ってすぐに結果が出る」という刹那的なところがいいのだ。
もういい、分かった。普通のチェキを買おう。フィルムカメラで言えば、ワイドはハッセルブラッド、普通のチェキを35mmカメラみたいな使い分けをすればいいのだ。チェキ二刀流。やったぜ。
そしてヨドバシカメラに行った俺は売り場で30分ほど立ち尽くして悩むことになる。
通常チェキとスクエアフォーマットのどっちにしよう
通常チェキとスクエアフォーマット、カメラ本体はどっちも大して値段は変わらない。欲しいと思った機体なら数百円の違いだ。
ただフィルムの値段は少々変わってくる。
10枚で1220円。10枚パックで値段を整理すると
通常チェキ:80円/枚
スクエア:122円/枚
ワイド:163円/枚
ワイドと違って今回はばかすか撮ろうとしてたのに、中間地点の値段だとなんか中途半端感がある。うーん。
ただ画面サイズが違ってくる。スクエアは正方形フォーマットなのだけど、写真が写っている部分の一辺はmini(通常)の長辺と同じなのだ。現物を見ると印象として結構大きく見える。
まぁ完全に値段に比例してますね、と言われればその通り。
あとカメラ本体サイズも変わってくる。コートのポケットに入りそうな通常チェキに比べて一回り大きいスクエア。
ここで迷いに迷った。30分立ち尽くし、店員も何やら感じ取ったのか話しかけもせず。
最終的には「頑張って働こう」というよく分からない決意の元、スクエアを購入。
ここまで落ちの見えてた長い話を聞いてくれてありがとうございます。チェキを買おうと思っている人の参考になればと思います。ならないと思うけど。